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1126枚目「真夜中散歩倶楽部 第39話」

夏の帳

Veil of Summer / 夏の帳 (緑)
インスタント
このターンに対戦相手が青か黒の呪文を唱えていたなら、カードを1枚引く。このターン、あなたがコントロールしている呪文は打ち消されない。ターン終了時まで、あなたとあなたがコントロールしているパーマネントは青からと黒からの呪禁を得る。(それらは、対戦相手がコントロールしている青や黒の呪文や能力の対象にならない。)


※スタンダード、パイオニア、ヒストリック禁止。

室内気温が外と大差ないどころか、劣悪な通気性で外の方がマシという環境。キーボードを叩く気が起きずぼんやりする内に二週間が過ぎていた。





夏は人を開放させる。海に山。空に帳なく、露出は増える。(ありがとう)
特に8月が本番だ。不思議とテンションが上がる。しかし、今年はコロナと熱中症の二重苦に晒された。個人の判断による自主的な外出自粛、特に遠方への旅行自粛がなされる昨今。
私は、ひたすら漫画を読んでいた。
MTGに関しては、買い時を逃していた《運命の神、クローティス》をついに購入、「五色ニヴ再誕」が満足の行く仕上がりとなったことで紙マジックに区切りがついてしまった事だけを報告しておく。めちゃくちゃに強く「なんで早く買わなかったの?」と煽られた。

連載中の漫画は先の展開が気になり過ぎてしまう性分である。マキマを許さない。
故に、完結まで待っていた作品をひたすらに読んだ。

鬼滅の刃

時は大正時代。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変する。唯一生き残ったものの、鬼に変貌した妹・禰豆子を元に戻すため、また家族を殺した鬼を討つため、炭治郎と禰豆子は旅立つ!! 血風剣戟冒険譚、開幕!!

特にアニメ化以降の売り上げが凄まじさから、社会現象と称しても良さそうなほどの作品。
勘違いしてはならないのはアニメ化以前から「すごい漫画が出てきた」と話題になっており、特に映画化される「無限列車編」、というか煉獄杏寿郎は人気で、連載当時から煉獄さんだった。
もちろん、アニメは素晴らしい。原作での戦闘描写の多くは「技名」と「技の説明」で占められあっさりしている。そこへ動きを加えているのだ。ヒノカミ神楽・十三の型がどのように描写されるのか楽しみでならない。

アニメでの成功で売り上げがとんでもないことになったのは否定しようがない。だが、それだけじゃないのも間違いないだろう。
私が感じたこの作品の上手さはとにかく登場人物である。全員になんらかの欠点、弱点が垣間見え、それを抱え寄り添い生きていく人々を巧妙に描いている。
主人公・竈門炭治郎は主人公故に戦闘面での活躍は多いが、優れた血統でも他を圧倒する天才でもなく、それ相応の歳月をかけて基本的な戦闘技術を会得したに過ぎない。
鬼滅隊同期の我妻善逸は一つの技しか使えない上に小心者で正気ではまともに戦うことができない。
最高位の一人、完成された強さを持つ炎柱・煉獄杏寿郎ですらある事情を抱えている。(映画配慮)
鬼側も幹部にあたる上位の鬼・十二鬼月はそれぞれなんらかの弱さゆえに鬼へと堕ちる。
首魁・鬼舞辻無惨にも鬼であるが故に「日の光」という明確な弱点があり、これを克服し「完全無欠の生命体」となるのが行動原理である。
ここで上手いのが、とにかく「元凶である鬼舞辻無惨を倒さなければ負の連鎖が止まらない」ように世界観が構成され、負の感情が全て鬼舞辻無惨へと向かうように仕組まれ、そしてその鬼舞辻無惨は同情の余地が一切ない徹底した悪なのである。

「鬼滅の刃」のテーマは「継承」だとは思う。ヒノカミ神楽の真相は実に上手い。

耳飾りの剣士・継国縁壱が辿り着いた日の呼吸。鬼舞辻無惨との対峙で完成した、一晩中急所を無駄なく斬り続けることで逃がさず日の出を迎えるための型。
しかし、逃亡した鬼舞辻無惨に再度出会うことは生涯なく、かつて竈門家に滞在した際に披露された。その研ぎ澄まされた美しさから当時の家主の記憶に残り、継承こそ約束したが、実際に指導したわけではない。
正式に指導を受けた継承者でないからこそ、鬼の目を逃れ続け、ヒノカミ神楽として残ったのである。
竈門家は代々記憶を頼りにした模倣に過ぎないのに、雪降りしきる山で一晩舞い続けるほどの極みへと至る。これはいくらなんでも無理があるだろうと思うが、継国縁壱の言葉にその答えが示されていた。
そう、「道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じ」なのである。

それと同時に「完全無欠の否定」。個性というか欠点を支え合うというかそういう感じのやつも込められた作品なのではないだろうか。

他にも読んだがこれ以上はいけない。始まったばかりだったはずの夏はすでに半分を過ぎ、この記事もここまでで半分となる。
本題へと進もう。





たまに書き連ねているが、私の数少ない趣味の一つに散歩というものがある。ただし真夜中。
お盆の散歩は神社巡りに適しているのではないか。これはある気づきから始まる。
かつて親族の眠る寺院へ参った時に見た、入口に立つ「駐屯地跡」。
そこで関連し思い出したのが、幼少期住んでいた土地の神社にあった石碑である。
神社の境内は遊び場だった。学校のグラウンドは閉鎖され、公園でボール遊びができない少年たちは神社で汗を流した。
供え物も何もない、ずっとそこにあった石に意味はなく、ただそこにあるだけのもの。

ある日訪れた神社、主に中央に座する社から離れた隅にある石碑。わずかに街灯で照らされた文字を読むと、それはやはり慰霊碑だった。
人名」「年月日」そして「マレー沖」や「ビルマ」といった「戦地」が刻まれていた。
単純にその地元出身者を慰するため設置に適した場所だからかもしれないし、出征の際の集合場所だったのかもしれないし、祈祷したのかもしれない。実際のところどうだったのかはわからず確かめようもない。
少年が神社で過ごした夏は大人となった今でも形こそ変わったが続いている。
しかし、彼らにとってはそうではなかった。最後の夏だったのだ。

そこでお盆にちなみ、改めて参ろうと考えたのである。道中見つけた神社に立ち寄り慰霊碑を探しつつ、「大きめの神社」を終着点とした。
「大きめの神社」とは社務所がある程度の規模。具体的に、いや、正直に言うと巫女さんが居そうな神社である。人生一度でいいから箒を掃く巫女さんを、見たい。
つまり、そのためには日中でなければならず、ここにきてついにMTGでも真夜中散歩でもなくなった。

慰霊碑を見つけるたびに黙祷をささげ刻まれた文字に目を通す。それらはいずれも朽ち果てることなく役目を果たし続ける立派な石碑だった。護国神社に限らず見受けられるので気が向いたら探してみるのもいいだろう。
そうして、大きめの神社へと辿り着く。神職の方こそ居れど、巫女さんが居ない。慰霊碑らしきものも無く、喫煙所で休憩しつつ思考した。巫女さんが居そうな神社は他にあっただろうか。
正直、縁もゆかりもなく、手を合わせても言葉に困った。彼らが帰還は誓ったのは別の場所だろうし、仮に霊魂が存在するならばお盆に帰るべきは親族の元だと思う。実際にこの時期でも供え物は一切ない。
そこで「逆の立場だったらどう思うか」と考えたところ、「そう悪い気はしないな」と決着した。
つまるところ、祈りとは今を生きる者が思う都合の良い所作に過ぎないのかもしれない。

空を見上げた。直射日光を遮るように天覆う「夏の帳」。それは木々に囲まれた境内にあった。
鳴り響く蝉の声に騒々しさはなく、蝉時雨と表現した詠み人知らずに感服する。
道中、天気雨に晒され河川から吹く風も相成り多少の清涼を得たが、ここはより避暑地として優れる。
やはり、お盆の散歩に神社は適していた。

盆の暮れ 夏はトタンが 懐くなる





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フレイバーテキスト

  1. 管理人は巫女やメイド、ナースや婦警といったコスプレプレイが性癖だってことがよくわかりました
    握手して下さい

    • おかしい・・・隠蔽工作は万全だったはずだ・・・

  2. インドア万歳な青黒の私にはこの夏の帳(猛暑)の中を歩くのは難しい

    • 《夏の帳》は緑、《酷暑》は赤、白のマナシンボルは太陽
      さあ五色になろう

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